あなたは何のために勉強しますか?
あなたは、お子様になぜ勉強をさせるのですか?
はっきりと答えが浮かんだ方はこの先を読む必要はないかもしれません。
でも、はっきりとした答えが思いつかなかった方、あるいは、
「テストがあるから…」
「学校の成績が…」
「受験があるから…」
といった答えが浮かんだ方は、ぜひ先入観を持たずにこの先を読みすすめてみてください。
テストで点が取れる・偏差値が高い・受験で合格…それだけの学力にいったいどれだけの価値があるのか?
はじめに申し上げておきます。
テストや受験など、今の教育制度を全否定するつもりはまったくありません。
その上であえて言います。
「テストで点がとれる」
「入試で『良い』学校に合格できた」
ただ単にそれだけで幸せな未来が切り開けるのでしょうか?
答えはNOです!
方程式が解ける、2次関数の難問が解ける、図形の面積や体積が求められる・・・
そんなことできなくても生きていくことはできます。
現に、これらが自在にできる大人が一体どれだけいるでしょうか。
中学生の学習内容がはっきり説明でき、中学生が受けているテストの問題で高得点がとれる大人は案外少ないものです。かつて学業優秀だった方でもです。
自分が勉強をし、テストを受けていた頃から長い年月離れていたわけですから、その知識やスキルがサビつくのはある意味で当然のことです。
しかし、その大人は全員、不幸なのでしょうか。
学校の勉強ができない、そこそこできてはいたけど今はすっかり忘れてしまった、という大人たちは、全員不幸せなのでしょうか。
もし、勉強ができない=不幸であるならば、
「将来幸せになりたければ勉強をしろ。勉強をしなければ不幸になる」
などと言って子どもに勉強をさせるのが道理でしょう。
でも、現実はそうではありません。
そうではないから、子どもは勉強に対して、いや、大人がしきりに「勉強しなさい」ということに対して、どこか「うさんくささ」を感じてしまうのです。
だから、
「なぜ勉強しなければいけないの?」
「こんなことして何になるの?」
「大人たちはみんなこの問題解けないよ!?」
そんなセリフを口にするのです。
それは半分は面倒なことから、嫌なことから逃れたいという気持ちからなのでしょう。
ただし、もう半分は本質を見抜いているのだと思います。
勉強する意味ってなんだ!?
「勉強する意味って何ですか?」
「なぜ勉強しなければいけないのですか?」
僕は講師になってから、この質問を何度も聞いてきました。
というより、子どもの頃には自分自身がこの問いを発していました。
僕自身、知的好奇心はあった方なので、「学ぶ」こと、何かにトライすること、できないことができるようになること、知らないことを知ること、それら自体に喜びを感じる少年だったと思います。
それでも、学校の「勉強」に対して、前向きに取り組めたのかと言われれば決してそんなことはありませんでした。
多くの人と同じように、「何のために勉強するの?」「なんでこんなことしないといけないの?」そう思った時期ももちろんありました。
しかし、嫌な勉強も、それと真剣に向き合ったとき、きちんと得られるものがありました。
勉強で得られたのは学習内容の知識やスキルなどはもちろんですが、それだけではありませんでした。
学校の教科の勉強で直接得られるものは、その後の人生で必ずしもすべての人が必要とするものではありません。先ほど話題にした通り、現に、多くの大人が学習内容については忘れてしまっています。
学校の勉強で得られる教科の知識は、そのもの自体が必要だとは限らないものもあるのです。
それよりも、勉強という、面倒なことに、嫌なことに真剣に向き合うことではじめて得られるものに価値があるのです。
面倒なこと、嫌なことに向き合ってはじめて知ることができる自分に出会うことに価値があるのです。
僕は、その価値を伝えるために講師を続けています。
「なんでお前が塾講なんかやってるの!?」
「もっと良い仕事あるでしょ!?」
などと周囲の知人・友人に言われながらも、僕が講師を続ける理由がここにあります。
多くの大人は、いや、先生と呼ばれる立場の人間もそのことがわかっていないようです。
気づいているのかもしれませんが、それをきちんと子どもに伝え、指導できる人はそうはいません。
大人が、先生とよばれる人自身が、教科の学習(で結果を残すこと)=学習だと思っています。
結果とは、つまり「テストの点」「成績(内申点)」「入試の合否」です。
しかし、何度も言いますが、テストや成績、入試はあくまでももっと大切なことを得るための手段でしかないのです。
本来、テストを上手くやるために学習があるわけではありません。より良く学ぶためにテストがあり、評価があり、入試があるはずです。
でも、現実はその目的(良く学ぶこと)と手段(テストや成績)が逆さまになってしまっています。
「テストのために勉強しなさい!」
「成績のために勉強しなさい!」
「入試のために勉強しなさい!」
というふうに多くの場合はなっています。
かつて、良い高校・良い大学に進学し、有名な企業に就職し、定年まで安泰な生活を送る…
そんなライフスタイルがあるべき理想像として描かれていました。
もちろん今でも多くの人はサラリーマンですから、そうしたライフスタイルは一般的です。
でも、それを手にするためでさえ、「大学を出ていればOK」などという時代はとっくに終わっています。
それなのに、以前と変わらずに単にテスト・成績・入試という部分にばかり目を向けて、勉強を強いるというのはナンセンスなことだと思いませんか?
こんな風に言うと、やはり僕がテストや入試制度などを全否定しているように思われてしまうかもしれないので、くり返し申し上げておきます。
僕は、決してテストや入試を全否定したいわけではありません!
テストや入試自体が良くないのではなく、
テストや入試の利用の仕方を見直すべきだと言いたいだけなのです!
「テストのための学習」でもできる実践的『自分磨き』
テストや入試にゴールを設定し、訳も分からず勉強をさせられる。
だから、点数が取れれば、テストが終われば、それで勉強が終わりになってしまうのです。
「お受験組」の多くの人がいわゆる「燃え尽き症候群」になるのは、まさに入試がゴールとなってしまっているからです。
その後、まったく勉強もせず、何となく学校はエスカレート式で進級し、卒業はできる。
しかし、本当にそんな未来のためだけに今を犠牲にするように勉強することに、どれだけの価値があるのでしょうか。
こんな話をすると、こう思う人もいるでしょう。
「受験やテストのために勉強していた人でも、その後、立派に活躍している人はたくさんいる」
と。
もちろんそういう人はたくさんいます。
でも、そういう人は意識的にしろ、無意識にしろ、大事なことに気づいていたからです。
あるいは、こう思う人もいるかもしれません。
「テストのためだけに勉強をするのがナンセンスだということは分かった。でも、テストもあるし、入試もクリアしないといけない現実がある。大切なことはわかったけど、では、いったいどうすれば良いのか!?」
と。
くり返し申し上げていますが、僕はテストや入試を全否定しているわけではありません。
むしろ、テストを適切に用いることで、学習を効果的、効率的に進めることができるようになります。
自分の課題を知り、自分で考え、自分で解決できないときには誰かに教えを請い、解決へと歩みを進める。自分の考えを持ち、自分の考えを的確に発信することを身につけていく・・・
現在、以前よりも重要視されている、これらの力が受験勉強で磨けないわけではないのです。
しかし、テストをツールとして適切に用いるのか、学習のゴールとして設定してしまうのか、それ次第であなたのしている勉強の意味は大きく変わってしまうのです。
嫌なことに直面した時の自分。
たくさんのタスクを計画的に、期間内で終わらせるスキル。
身につけた限られたスキルでまだ見ぬ難問を解いていく作業。
自分には対処ができない難問に出会ったときに誰かに助けてもらう。
そうした力を意識的に見につけ、意識的に使えるようになったら、社会に出て仕事をする際にも、たとえどんな仕事をするとしても、うまくやっていける・・・
そう思いませんか?
そんな魅力的な力を受験勉強であっても身につけることができるのです。
身につけるというよりは自分の反応を直視して、その自分を磨いていくこと、と言っても良いでしょう。
「勉強を利用して、自分自身を知り、自分自身を磨いていくこと」が、実は勉強する本当の意味であり、価値なのだと僕は思っています。
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