「思考力」がなければテストの点だって上がらない!?
最近の教育界のキーワードは「思考力」「判断力」「表現力」と言われています。
これは、学校教育の指針が記された「学習指導要領」に謳われていることばです。
2000年代にはいってから「学力低下」とか「PISAショック(読解力低下)」とか「脱ゆとり」などが教育界の重要なトピックとなってきました。
世の中は「国際化」「情報化」という流れのなかにあり、これまでのような入試で合格するための「受験学力」を育成するだけでは不十分だという路線で教育の改善が進められてきています。
産業界からも大卒の新入社員の能力の低下が叫ばれ、経済産業省が「社会人基礎力」なるものも示すほど。
でも、ちょっと待って下さい。
もちろん、社会が変わり、求められる人材や能力が変化したということはあります。
社会で生きていくためには、そこで求められる力を身につけ、社会参画していくというのはある意味で自然な流れです。
だから、現在「思考力」「判断力」「表現力」などに敏感に反応し、これまでのような「つめ込み型」「受験学力型」の学習ではないものを求めている人も増えてきているようです。
学校自体も「アクティブラーニング」なるものが導入され、様々な実践・研究が試みられているようです。
でも、かつての熾烈な受験競争が繰り広げられていた時であっても、現在であっても、学ぶということの本質は、自分で「考える力」を身につけていくことではないのでしょうか。
テストがあって、入試があって、それによって自分が社会的に評価されるとなると、やはり、それが目的となってしまうのでしょうか。
気持ちはわからなくはないのですが、非難される覚悟であえて言います。
テストで良い点を取ろうとするからこそ、良い点数が取れないのです!
理由はいたってシンプル。
これまでも他の記事でくり返し書いてきていますが、本当に大事な目的を持って学んでいれば、結果として、学校のテストや入試で良い点数を取ること、合格を得ることはごく自然なこととしてできるのです。
逆に、そこがうまくいかない人は、そもそも大事なことを見落としたまま、「みんなやっているから」「みんなに遅れを取らないように」とか、そういう自分以外の外の基準だけで動いてしまっているのです。
だから、自分の望むようにテストで点が取れないのです。
だって、自分を磨くように、高めていくように勉強ができていないのだから…。
前置きが長くなりましたが、そのあたりのことも「考える力」というものを意識して学ぶということを進めて行けば、自ずから気づけるようになるはずです。
そこで、今回は「考える力」「思考力」を磨くためのポイントをまとめておきたいと思います。
学ぶ=まねぶ まずは「理解力」を磨け!
人間は生れたその瞬間、本当に弱い存在です。
何も知らない、できない。
だから、生まれ落ちたその瞬間から生きるために、日々、いや、毎分毎秒学んでいくのです。
その意味では、生きること=学ぶことといってもいいくらいです。
さらに、学ぶというのは、周囲の人の動作や言葉をまねすることから始まります。
始まりますというよりも、学ぶというのは、その多くがまねをすることです。
自分にとって未知な何かを身につけていくための効果的な方法は、まず師匠の一言一句を聞き逃さず受け取り、一挙手一投足を目に焼きつけ、同じようにやってみることからはじめます。
いや、そうしなければできないとさえ言ってもよいでしょう。
芸事をやっている人ならよくよく分かることだと思います。
いわゆる「守・破・離」です。
これはもちろん勉強でも同じです。
教科書や先生が示してくれた学習内容(知識や技術など)を、まずはお手本通りにまねするのです。
「漢字の書き取り」って、まさに、お手本をなぞることから始めますでしょ!?
これが中学くらいになると、少しずつ事情が変わります。
勉強歴が長くなり、へたに経験者になるから、何となく油断するのか、忘れられてしまうのか・・・。
とにかく、お手本通りに、言われた通りにやるという最初のステップを見事に無視する人が続出するのです。
そんな取り組み方で、何かができるようになろうという方が甘い!
普段、教室でも「今日は授業でどんなことやった?」「今週で授業はどこまで進んだ?」などを確認することがありますが、その際に「なんだっけ?」となってしまう人が多すぎる。
「え?今日学校休んだの?授業中寝てたの?」
あまりにも授業を軽視している人が多いのです。
先生の指導を受けることができる授業の中で、先生の話を聞かずにどうして勉強ができるようになるのでしょうか。
とても不思議です。
現在は、やたらと「受験学力」のようなつめ込み、暗記重視の学力が非難されて、「主体的」とか「思考力」というのが異常なほどに注目されています。
・・・が、その前に磨くべきは「理解力」でしょ。
考える力も、それを表現する力も、それなりに知識や技術の蓄積があってはじめて意味のあるものになるのです。
先生の話を聞かないで、指示通りに実践しないで、どうやってうまくいくのでしょうか?
まずは、教科書通りだろうと何だろうと、インプットです!
もちろん、どっちが先とか後とか、優劣を付けられるものではありません。
でも、特に子どもは、まだまだ知らないこと、身につけてほしいことがたくさんある存在です。
だから、これも非難覚悟で言いますが、子どもにうちは「つめ込めるだけ、つめ込むべきだ」というのが僕の本心です。
主体性?
応用・活用力?
いやいやそんなレベルに到達していないでしょ。
四の五の言わずまずは大切なことを暗記せよ!
…です。
先人の知恵をつめ込めるだけつめ込め!
周りの優れた意見を受け取り、これまでの先人が心血を注いで見つけ伝えてきた知恵の結晶を、どんどん吸収するべきだと思うのです。
その意味で、思考力云々を語る前に、まずは本を読め、と言いたいのです。
「理解力」「読解力」を身につけることが何よりも先決だと僕は考えています。
だって、その「理解力」「読解力」を正しく身につけていけば、本を読んでいると必ずどこかで「?」が出てくるのです。
その「?」こそ、自分で「考える」ことが始まる瞬間です。
1つの本を読んでいて、「?」が出てきたら、別の本を読んで見識を広げて「?」を解消していくのです。1冊や2冊で足りなければ、何冊も読むのです。
本を読んでみても何となくスッキリしなければ、その道の先達に聞いてみるのもいいでしょう。そうして、自分で「答え」を見出していく・・・。
それこそが「考える」ということであり、それができる力が「考える力」でしょう。
だから、その意味では「考える力」とは「理解力」「読解力」と密接に関係しています。
さらに、自分で考えたことをまとめるとき、あるいは、誰かに伝えるようとするときに、人はことば・文字で書き表わします。もちろん、音声で話す場合もあります。
これが「表現力」です。
こう考えると「考える力」も「理解力・読解力」も「表現力」も密接につながっているのです。
先にも言いましたが、どれが上とか下とか、そもそもこれらを別のものとして切り離して考える必要はないのです。その方がナンセンスなのです。
とはいえ、分かりやすくするために、「じゃあ何を、どうすればいいの?」って疑問が当然出てくると思うので、あえて言うのなら、まずは「理解力=読解力」を磨くことをお勧めします。
誰か(先生や本)が言っていることを、そのまま、なるべく正確に理解できるように、一言一句聞き逃すまい、と受け取っていくのです。
あれもこれも、知らないことだらけなのですから、勝手に取捨選択したり、自分は「文系」とか「理系」とか、中途半端なレベルで勝手に可能性を狭めてはいけません。
とにかく、あれもこれもやってみる。
いろいろつめ込んでみるのです。
本当に自分に必要なものは、その過程でちゃんと残っていきますから、その時になってはじめて集中して学ぶことを決めたっていいわけです。
特に、今の世の中では、価値が多様化していますから、社会的な問題を一つとっても、従来のような文系・理系とか、学問領域では明確に区別できないものもたくさんあります。いろんなことにアンテナが張れるようにしておけば、今この瞬間は必要なくても、いすれどこかでつながってきたりもします。
無味乾燥な試験勉強でも「自分を磨く」ことはできる!
まぁ何はともあれ、とにかく高校生くらいまでは、つめ込めるだけつめ込んで、「世の中のこと」「自分のこと」を知っていきましょう。
「学校の勉強・受験の勉強は意味ない」という人もいますが、これも僕から言わせれば、表面的で、底の浅い評価です。
「学校の勉強・受験のための勉強」は、確かに、無味乾燥なものになりがちです。テストがゴールになりがちです。それは、そもそも学校がそういう仕組みで運営されてしまっているからです。
ただし、そういう勉強をするときだって、やる側の意識一つで、もの凄く価値のある行動がとれるようになります。
基礎知識の暗記はもちろん、辛い苦しい作業をするときの自分の反応(感情や体の変化など)を知ることができます。
「どういう風にすれば集中して作業が継続できるか」とか「どういう分野の話に心躍る自分がいるのか」とか「予定の立て方」「目標の立て方」などなど。
学校でやっている勉強自体が、たとえツマラナイものであっても、そこから自分が何を得るのか、それを使って自分をどうレベルアップさせるのかって考えれば、実に多くのことを学ぶことができます。
自分を磨くことができます。
だから、とにかく「勉強ってなんでしなければいけないの?」とか「こんなこと覚えて何になるの?」とか言ってる暇があるなら、一つでも多く先人たちが積み重ねてきた知の結晶を自分のものにして、その過程で、自分がどんな反応をする人間なのかを知ることに集中するべきです。
きっと、こんなことを言ってくれる先生はほとんどいないのでしょうけど…。
少なくともこれを読んでいるあなたは、ひとつ勉強の価値を知ることができたと思うので、ぜひそうした視点を持って勉強に励んでほしい。
これを読んでいるあなたが親であれば、あなたのお子様に、そういう勉強の向き合い方があるのだということを教えてあげてください。
大人は「本を読め」というけど、読書って何がいいの?
さて、何かを学ぶというとき、教科書を使ったり問題集を解いたり、いろいろな教材というものがあります。そうしたものを日々の勉強のなかで使っていると思いますが、「考える力」ということに注目すれば、やはり読書をしてほしい。
非常に月並みに聞こえてしまうかもしれませんが、やっぱり読書がいい。
最近は動画や音声教材なども多数ありますが、より「主体的」に「考える」ということまで考えると、やはり活字を自分の目で追い、ことばを反芻し、ページをめくり、時に戻りながら、自分のタイミングで進めていくというのが良いと思うのです。
動画や音声は大変便利です。
便利ではあるのですが、自分のペースで行ったり来たりできないし、やはり何よりも受け身なスタイルが強すぎます。
さらには、本はこれまでの蓄積が大量にあります。
しかも、何十年何百年、千年前の文献でさえも、その中身を読むことができます。
「読書」は、これまでの人類の知恵をダイレクトに自分が受け取ることができるのです。
これができる「読書」という行為が、「読む力(読解力)」はもちろんのこと、「考える力(思考力)」を磨けないわけがない。
将来、我が子に「頭がいい人」になってほしいなら、自分で「考える力」を身につけてほしいなら、自立的な人になってほしいなら、本を読むという習慣を身につけさせてあげるようにしていただきたい。
すでにある程度成長してしまった子どもに「本を読め」といっても、もう手遅れかもしれません。いまは本よりも刺激の強い娯楽が、身近なところにたくさんありますから。
だからせめて、大人が、自分自身が本を読むことの本当の価値を理解して、自分自身が本を読む人でありたいものです。
子どもはけっこう大人の動きを見ています。
大人が楽しそうに本を読んでいれば、ちょっと手を出してみたくなるかもしれません。
ほんとうに大事なことって、そういうことだと思うのです。
「入試があるから」とか、「就職が・・・」とか、もちろん大切なことなんですけど、そういう物差しだけで動いても、たいして魅力的な人にもなれないと思うのです。
それよりも、何か知らないけど夢中になって小説に没頭した経験がある人の方が、魅力的な話ができそうじゃないですか!?
中途半端にやった勉強よりも、他のことを一切放り投げてでも没頭した部活の方が、その後の人生で自分を支えてくれませんか!?
そういう誰かが熱くなったこと、誰かの人生を動かしたような感動も、本を通して僕らは味わうことができます。しかも、比較的安価で。
こんなに素晴らしいことはないとさえ思えます。
もちろん、ただ本を読めばいいというわけではありませんし、読み方というものもあります。とはいえ、現在の子どもはITネイティブ世代ですから、生まれたときにすでにPCやスマホ、映像媒体に囲まれているので、ひとまずはじっくりと活字を読むという行動を身につけたい。
先にもふれましたが、読書をしていると、時に「?」や「!」を感じたり、反感を覚えたり、自分を重ねたり、実にさまざまな「頭を使う」のです。
「脳に汗をかこう!」などということもありますが、そういう経験を経ることで「思考力」は磨かれると思うのです。
考える力(思考力)を身につけるおすすめ本【読書案内】
さて、読書が良いとはいっても、「何を読めばいいのかよくわからないない」という方もいらっしゃると思います。
そこで、考える力(思考力)を養う上でおすすめの本をいくつかご紹介します。
考える力(思考力)というとく、僕は真っ先に「哲学」が思い浮かびます。
自分が「哲学科」出身というのもあるかもしれませんが。。。
というわけで、「考える力(思考力)」を鍛えたいという方で、まずどんな本を読めばいいか分からないという方は、「哲学系」の本を読んでみると良いでしょう。
「哲学」と聞くと、「なんか難しそう」というイメージを持たれる方も多いようです。
たしかに、多少とっつきにくい部分もあるかもしれません。有名な哲学者の本の翻訳などは、少々ハードルが高いかもしれません。が、中には、非常にわかりやすくまとめている本もあります。
例えば、これは一時期ブーム?になっていた本です。
この『超訳ニーチェの言葉』の他にもたくさんの「超訳シリーズ」がありますので、きになる有名人の言葉・考えにふれてみるのも良いでしょう。
もちろん、最終的には、ソクラテスやプラトン、アリストテレス、はたまた、ヘーゲルやサルトルなど、有名な哲学者の本を読んでみると、なお良しです。
さらに、哲学(「考える」ということ)に真正面から向き合っていながら、変に小難しくなく、わかりやすい言葉でつづってくれている本もあります。
僕は大学生になる前にこの方の本に出会い、その後、人生の様々な節目で、その言葉に刺激をもらってきました。
僕が最も敬愛する哲学する人、池田晶子氏の著作はぜひともお読み頂きたい。
例えば、教科書にも取り入れられたり、入試問題にも使用されたりして、ご存知の方も多い「14歳からの哲学:考えるための教科書」、あるいは、「14歳の君へ:どう考えどう生きるか」は、まずはじめに読んでみると良いかもしれません。
その名の通り、14歳=中学生に向けて書かれているものです。
とはいえ、扱われている内容は、かなり本質的なことなので、たいへん刺激的な著書です。「考える」「生きる」ことについて「考える」際の大きな道しるべとなってくれるでしょう。その意味では、大人が読んでも得るものが多いです。
他にも、子ども向けに書かれている「哲学系」の本はたくさんあります。
おすすめのものを2点ご紹介します。
■竹田晴嗣
中学生からの哲学「超」入門:自分の意志を持つということ
■永井均
<子ども>のための哲学
「哲学系」以外でも、「考える力」を鍛えるためにおすすめの本がいくつかあります。
「考える(思考)」というのは、言葉を使って行う動作ですから、当然、言葉の力(読む力や書く力)も重要になります。いわゆる「読解力」とか「表現力(作文力)」などです。
そのあたりについては、以下の記事を合わせてお読み頂ければと思います。
おすすめ本の紹介もあります!
読書以外ですぐに実践できる身近な思考力訓練!
最後に、すぐにできる思考力を磨く訓練をご紹介しておきます。
これは、自分の意見を主張する際の、あるいは意見文や小論文を書く際の、基本的な枠組みになります。誰かの意見を踏まえて、自分はどういう理由で、どう考えたのか…。
この一連の枠組みを身につけていくように、いろいろなテーマで自分の意見をまとめる練習をしてみてください。
変に小難しいテーマでなく、身近なニュースなどでも良いでしょう。とにかく、「事実」を理解して(ふまえて)、そこから「自分の考え」をひねり出す作業をしていくというのが大事です。素材はこの際なんだっていい。かんたんに始められる実践なので、その気のある人はぜひやってみてください。