テストの点・成績を上げるための勉強方法として、基礎・基本となる方法や考え方など、いくつかのポイントを解説してきました。
一応、順番にシリーズ化しているので、まだ他の記事をご覧になっていない場合は、先に、こちらからお読みください。
(※順番通りでなくてもあまり支障はありませんが(;’∀’))
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テストの点・成績を上げるための勉強方法シリーズ
で、今回は「基準値」について。
これは「勉強の質と量」の話とも深くかかわる内容です。
ぜひ↓こちら↓の記事とあわせてお読みください。
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テストの点を上げるための勉強方法2【勉強の量と勉強の質】
何のために、誰のために勉強しているの!?
勉強の目的はさまざまだろう。特に子どもは気付けば何となく学校に行かされて、何となく勉強をしなければならないという状態になっていて、半ば強制的に勉強をさせられていると感じる人も多いだろう。
もちろん、その途中で「勉強の意味」「勉強の価値」を見出して、一生懸命に自分のレベルアップをしている人も多い。
そう、勉強とは、それぞれ目的や目標は異なったとしても、「自分のレベルアップ」のために行うもの。
だから、当然勉強は「自分の中の基準」で進めて行くことが大切なのです。
学習の現場にいると、テストの点をはじめ、平均点や偏差値などという数字に翻弄される人を多く目撃します。もちろん、学習において、テストは重要なツールで、その数字は学習をより効果的・効率的にしていくための指標とはなります。
しかし、テストの平均点や偏差値にやたらとこだわるというか、ある意味振り回されている人を見ると、たいへん残念な気持ちになる。
「この人は、ちゃんとした基準値を持っているのかな?」と。
「『自分のため』に『自分のレベルアップのため』に勉強できているのかな?」と。
ライバルは自分-誰かに勝つにはまず「自分」を超えろ!
勉強の途中、勉強の先には「テスト」というものがある。
その「テスト」によって評価されたり、何か進路が決まることが多いから、何となく勉強の目的が「テストで合格!」となりがちだ。
さらに、入試や入社試験というものは、「選抜試験」だから、当然他の志願者との競争という側面もある。
だから、当然、偏差値とか、平均点とか、大事といえば大事なのだが、日々の勉強の中でそれを意識し過ぎていても果たして「自分のレベルアップ」にどれほど意味があるのか、疑問。
もちろん、ライバルの存在、競争の原理は自分を進化させる原動力になり得る。
あるいは、ライバルがレベルダウンしてくれれば、相対的に自分が優位に立てるようになる。
まぁ偶然の産物で、ライバルたちがどんどん倒れていくということがなくはないかもしれないが、そんな天文学的な確率の出来事が起こることにかけて、自分が得たい結果(合格)を得たとして、それがどれほどの価値あることなのだろうか。
当然、自分と同じ選抜試験を受ける志願者をレベルダウンさせることは、現実的にはかなり難しいことだ。選抜試験などの競争原理の中で、誰かと戦わなければいけないという宿命にあったとしても、誰かの行動や成果に対して、自分ができることなんてほとんどないのだ。
つまり、誰かや何か、自分の外のことを基準に考えても何もはじまらないということ。基準は常に自分の内にあって「自分がどうなのか」ということでなければ意味がないのだ。
「誰かがこれだけやっているから自分も」
もちろん、優れた人の行動をまねするのは良いが、それが自分にとって必ずしも適切な基準ではないかもしれない。ある程度レベルが高い人は、たとえば、学校の定期試験レベルであれば、一夜漬けでも何の問題もない場合がある。
だからといって、ふだんの授業もしっかり受けられていない人が、その復習さえもおろそかにしている人が、「あいつ(成績が良い人)が一夜漬けなんだから・・・」と、その人の行動をまねしたところで、たいした結果はでないだろう。
かくいう僕も、ある程度勉強の仕方が分かり、日々の積み重ねをしっかりやるようになってからは、一夜漬けでどうにでもなった。早くてもテスト3日前からしか勉強しないという状態が続いた。一夜漬けのテスト勉強でも全教科で高得点が取れた。それは、日々の授業やその復習で納得できるまでやり込んだり、常に自分で自分をテストしていたからできたことだ。何の準備作業もなく、正真正銘の一夜漬けをしていたわけではない。
「明日テストだったら自分は点数が取れるのか!?」
「あれ?これってなんだっけ?」
勉強の際は、漠然と問題をこなし、問題集のページを進めるのではなく、たえず自己チェックをくり返す。せっかく時間も労力を使って勉強しているのに、それが評価されなければもの凄く無駄なことをしている感が強くなるものだ。
あとちょっとねばり強くやるだけなのに。
後回しにせず、すぐにちょっと見直すことさえしておけばいいのに。
多くの人は、自分のなかに適切な行動の「基準値」を持っていないから、時間やページ数、宿題やテスト範囲を指標に動いてしまっている。だから「やっているのに結果がでない」という状態になるのに。そこに気づいていない人が非常に多い。
「教科の勉強で習得する知識は無駄だ」という人がいるが、「テキトー」にやって中途半端な結果しか出ていない人ほど、そういうことを言い出すのではないだろうか。本当に無駄なのは、せっかく時間も労力も、あるいは、お金も使って勉強しているのに、中途半端な気持ちと中途半端な行動で、形だけ終わらせてしまっていることなのだ。
学校のテストの勉強・受験勉強、それ自体がムダなのではない。
せっかく勉強したことがテストの点数にすら現われない。
せっかく勉強したことをもう一度はじめからやり直さなければならない。
・・・その方が明らかに無駄なことをしているのだ。
だから、きちんと意味のある「自分のレベルアップ」をするには、やはり自分の内なる基準値を持って進めるしかないのだ。
言うなれば、ライバルは過去の、昨日までの、ついさっきまでの自分。
自己新記録を更新していこうとすることで「自分磨き」ができるのだ。
自分を知り、自分を疑い、自分を褒め、自分を励ます
「勉強がおもしろくない」とか「こんなことして何になるの?」って思う人は多い。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」って思ったことがある人はおそらくもの凄くたくさんいるだろう。
かくいう僕自身も同じように思ったことがある。
でも、多くの人は、逃げの理由として、勉強しない言い訳としてそれらの言葉を口にする。
しかも、「なんで?」って言ってるのに、その答えを探ろうともしない。
そんなことで結果が出るわけもないし、仮に出たとしても、それこそ勉強が本当に意味のない、ただただ「テストのためだけ」にやる行動となってしまう。まったく無駄な時間とカロリーの浪費である。それなら、スポーツでも趣味でも好きなことに没頭する時間にした方がどれほど有意義か、とさえ思えてしまう。
もちろん、「勉強の意味」なんて、そうそう納得できる答えは見つからないかもしれない。でも、多少なりとも悩んだ形跡すらない人が、勉強の無意味さを語ることほど虫唾の走ることはない。
「誰よりもやりきって、それでもやっぱり意味がなかった」
というのであれば、個人の見解として十分に納得できる話だが、こういうセリフを言う人は、たいていそれを言い訳に中途半端な勉強しかしていないことが多い。
もちろん、ただ知識をつめ込んで、暗記した知識の再現性とスピーディーな情報処理能力を競うだけの受験学力であれば、もうすでにコンピューターや人工知能(AI)に人間は勝てないのだから、その力を伸ばすことに躍起になっても仕方ないかもしれない。
とはいえ、じゃあクリエイティブな思考、とか、批判的思考、論理的思考、などなど、コンピューターにはない人間独特な力をつけていこう、と言ったって、ある程度基盤となる知識は必要だ。何もないところから、深い思索や世紀の大発明が出てくるとは到底思えない。
だから、大事になのは、やはり勉強の過程で、ただ単に知識を暗記したり、処理速度を上げることを目的にするのではなく、しっかりと「自分を磨く」「自分のレベルアップ」を目的に勉強をすることなのだ。
「無味乾燥」「無意味」だと揶揄され受験勉強だって、向き合い方ひとつで、相当自分を鍛えられる。
単純に知識が増えるということもあるだろう。
技術を身につけられて、できる事が増えるということもあるだろう。
でも、そればかりではない。
勉強が嫌いだという人であれば、嫌いなものでも、ある程度付き合わなければいけないものに対して、自分がどう立ち回るのが良いかということを実践を通して学べるのだ。
自分の「ストレス耐性」だってわかるはずだ。
そもそも、自分がどういうものを楽しめて、どういうものをどうしても楽しめないかを探ることもできる。
計画的に物事を進めて行くことにもチャレンジできるし、達成感や自信を積み重ねていくこともできる。
意識ひとつで、向き合い方ひとつで、実に多くのことを学び、経験することができるのだ。
だからやっぱり勉強は、「自分磨き」「自分のレベルアップ」のためにこそ、壮大な実験として行っていくべきだと思うのだ。
「自分を知る」ことができ、時にそんな「自分を疑う」ことになり、うまくできた・成長した「自分を褒め」、困難に直面して逃げだしそうになる「自分を励ます」・・・
そんな風にして、自分を磨き、より高みを目指すのだ。
何度も言うが、もちろん、ただ知識を丸暗記させられて終わり、丸暗記してしまえば何とでもなるテストであれば、人生かけるに値しないかもしれない。
でも、本当の勉強は、いや、あえて「学び」と呼びたいが、それは人生をかけるに値する。むしろ、人生とは「学び」の連続、「学び」そのものである。
だから、ちょっとめんどくさいと思う程度のことで、何か難しそうで嫌な気持ちになってしまう程度のことで、逃げ出さないでほしい。
そして、勉強は「自分」を基準に、しかし、そのハードルはどんどん高さを増していくように設定して行ければ、当然、多くの人が実践している現在のテストであれば、点数はかんたんに上げられる。
だって、最も大事な「自分磨き・自分のレベルアップ」をしっかりとしているのだから。
さぁ、現在、「勉強しているのに成果が出ていない」という人で、言われてみれば過去の自分を超えるほどの量と質で勉強していないな、と感じる人は、試しに今やっている勉強時間の3倍の量をやってみてください。
もちろん、それでも結果がでなければ、もう3倍。
いずれ自分の基準値が見えてきます。
そうなると、何をどれだけやるとどうなるのかが自分で把握できるのです。
この状態に行くまでは大変なのだが、これがわかってしまうと本当に強い!
自分が現在どの程度のパフォーマンス力を持っているのかが分かると、本当に効果的・効率的な行動ができるのだ。
だから、先ほども言った通り、一夜漬けだって常に90点台の得点がとれてしまうのだ。
さて、
あなたは自分の内なる「基準値」を持っていますか?
過去の自分に打ち克つための努力ができていますか?
自分を甘やかせずにストイックに「自分磨き」ができていますか?
何か成果(結果)を出したいのであれば、テストで点を上げたい・成績を上げたいのであれば、自分と闘うしかありません。「自分を磨く」「自分のレベルアップ」の先に、当然の報酬として、テストの点や成績などの成果が得られるのだから。
誰かの基準、誰かの評価はあくまで参考資料。
しっかりと自分の「基準値」を持って、
しっかりと自分と闘ってくださいね!
では、『テストの点・成績を上げるための勉強方法シリーズ』は次回が一応の最終回。
テーマは「続ける力(継続力)」についてです。
お楽しみに。
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